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共産党の衆院選では、
2012年=8議席
2014年=21議席(偶発的大躍進)
2017年=12議席(2017/10/22衆議院総選挙投票日、比例=11,小=1)
おそらく共産党の衆議院標準議席数はμ=10議席で永年定着。
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共産党90周年、陰りの道 党勢ジリ貧 [反原発]主導できず
2012年7月15日産経新聞
【2013/7/3現在日刊紙23万部割れ記事は最下部↓】
日本共産党(志位和夫委員長)は2012/7/15日、結党90周年を迎えた。
非合法政党として発足したのは大正11年で、現在の主要政党では最も古いが、
党勢は低迷している。
民主、自民両党の二大政党に不満を持つ層の受け皿となる戦略は奏功せず、既成政党の一つとして埋没気味なのは否めない。
党員の高齢化や財政難など構造的な課題も山積だ。(佐々木美恵)
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◆「苦労した10年」◆
「自民か民主かのキャンペーンが行われ、
共産党は蚊帳の外に置かれ、苦労した10年だった」
志位和夫は2012/7/13日の記者会見で、最近の10年間についてこう振り返った。
平成16年(2004)には党綱領を43年ぶりに全面改定し、
■イデオロギー色の強い「前衛党」や「労働者階級の権力」などの文言は削除。
■自衛隊や象徴天皇制の容認方針を打ち出して「ソフト路線」を強めたが、
国会の議席増に結びつかなかった。
古参党員は反発し、有権者からは見せかけにすぎないと受け止められたためだ。
H16年(2004)綱領の《 案 》を公表した直後のH15年(2003)衆院選では、
改選前20議席を9議席に大幅に減らし、それ以降議席数は横ばい。
中選挙区制時代とはいえ、昭和54年(1979)の衆院選で41議席を得たのとは隔世の感がある。
志位和夫は民主、自民、公明3党が消費税増税法案の可決に踏み切ったことや民主党の分裂、福島第1原発事故以来の反原発論の高まりから、「反転攻勢につながる潮目の変化を感じる」と期待を寄せている。
共産党は、非自民・非共産の各党が結集した「新進党」(平成6年12月~9年12月)が解党した過程で批判票の受け皿になったと分析している。
H8年(1996)の衆院選の比例代表で727万票、
H10年(1998)の参院選の比例代表で820万票を得た。
H21年(2009)の衆院選の比例代表は494万票、
H22年(2010)の参院選の比例代表の得票は356万票で、
これ以上の減少は何としても避けたいところだ。
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◆機関紙収入も苦戦◆
組織の弱体化は深刻だ。
■党員数は、
H2年(1990)には50万人を誇ったが、
今年(2012,H24)5月1日現在で31万8千人。
■党収入の柱の機関紙の読者は、
10年前(2002,H14)の約190万人からH22年(2010)には約145万人となり、
苦戦している。
■党員の高齢化も加わり、組織の弱体化が党勢拡大の足を引っ張る悪循環も起きている。
実際、H20年(2008)にワーキングプアの社会問題化に伴う『 蟹工船 』ブームでも、
党勢挽回のチャンスを逃している。
共産党は「反消費税」「反原発」を昔から強く主張してきたが、
○消費税増税反対では、新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表らの動きが目立ち、
○反原発でも共産党は運動の主導権を握れていない。
今年(2012,H24)5月には「全国活動者会議」を25年ぶりに招集し、
党員や機関紙読者獲得の大号令をかけた。
2012/6月に2千人、今月(2012/7)に入ってから千人の入党者を得たが、
それでも昨年(2011,H23)決めた新規入党目標の5万人に対し、
約1万2千人の獲得にとどまっている。
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《 政党 》から、《 政治団体 》に名称が変わるのはいつだろう~?
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2012/12/16衆議院総選挙 &
2013/7/21参議院通常選挙 の
共産党躍進の理由はどこにあるのか?!!
潜水艦の瞬間風速的急浮上は?
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本質は革命政党「政権とれない」安心感も、しかし民意はうつろいやすい!!
2013/8/5ZAKZAK
■選挙事情に詳しい永田町関係者はこう分析する↓。
①「昨年(2012/12/16)の衆院選で日本維新の会を支持した人が共産党に流れたケースが多かった。“右”から“左”への急旋回だが、そうした人はインテリ層によくみられる。まさか共産党が政権をとれるわけがないという『安心感』も、そんな投票行動につながった」
②「自民への対抗軸」として期待された野党が自滅した際、
共産党が瞬間風速的に浮上することは、これまでの選挙の歴史が証明している。
■平成10年(1998)/7/12の参院選通常選挙■
橋本龍太郎首相(当時)の恒久減税発言に批判が強まる中、
離合集散を繰り返す野党への不信感から共産党に無党派層が一点集中した。
だが、
今回(2013/7/21)の参院選での成果は必ずしも、
“漁夫の利”だけではなかった。
東京、大阪、京都の各選挙区で当選した3人のうち2人は30代。
戦力の「若返り」だ。党員の高齢化に伴って先細る党勢を巻き返そうと若年層の党員獲得に躍起になってきたが、「やっと若手の人材が育ち、戦略の効果が表れてきた」(党幹部)という。
昨年(2012/12/16)の衆院選選挙区で擁立した299人の候補者のうち30代は51人で17%。
今回(2013/7/21)の参院選ではさらに新陳代謝が進み、選挙区の候補者46人のうち30代は12人。4人に1人は30代という計算だ。
ちなみに自民党の選挙区候補49人のうち30代は6人で12%余りだ。
今回の参院選で導入されたネット選挙解禁も追い風にした。
「今までの支持者層とはまた別の新しい層にも訴えが浸透していった実感がある」。
東京選挙区で当選した吉良佳子参院議員(30共産)はそう語る。
共産党はホームページ(HP)に特設サイト「カクサン(拡散)部」を開設し、8人のゆるキャラマスコットを使って政策を訴えた。各候補者はフェイスブックやブログをフル活用した。
党幹部は「『原発』『雇用』『憲法』を3点セットに、逃げずに真正面から有権者とやりとりした。
訴えは広く拡散され、若い層へのネット効果は大きかった」と強調する。
志位和夫も5月からツイッターを始め、お気に入りのクラシック音楽や猫のこともつぶやくなど
「ソフト路線」の最前線に立った。
極めつきは志位和夫の選挙ポスターだ。
撮影したのは「女優写真」の第一人者とされる立木義浩。
微妙に「左傾」した頭の角度に、普段は見せないようなほほえみ、そして演歌歌手ばりの握りこぶし…。「大ヒット演歌『さざんかの宿』の大川栄策にそっくりだ」という声も聞かれた。
他の野党からは
「若返りなどイメージの打ち出し方を変えて成功した。
統一したイメージを作れないわが党と違う」(民主党幹部)と恨み節も聞こえる。
「軒先で雨宿りしている人に、どう家の中に入ってもらうかだ」(不破)。
党の理論的支柱とされる不破哲三元議長は周囲にこう話しているという。
⇒党への無党派層の支持は緊急避難的要素が強く、本物ではない。
志位和夫は2013/8/2日、
「日本共産党への新たな期待や関心が広がっている」と新人議員を鼓舞した。
⇒しかし、民意はうつろいやすい。
共産党は、
日の丸・君が代を国旗・国歌とする事に反対している。
天皇を迎える国会開会式をボイコットしている。
政党助成金を受け取ってない(startから∑総合計で何億円拒否したのかガマン強い)
などなど・・・・
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▼補 足▼説明/1998年現象▼
第18回参議院通常選挙1998(H10)/7/12
選挙"結果"=改選+非改選=合計
自民党=103=与党(橋本龍太郎)
▼野党
民主党=47
共産党=23=15+8
公明党=22
自由党=12
社民党=13
新党さきがけ=13
自由連合=1
無所属=28
総合計=252議席
■日本共産党の"選挙前"=改選(6)+非改選(8)=14議席■
第18回通常選挙により
6議席(選挙前)から ⇒ 15議席(選挙後)に増加・・・<+9議席増>
この当時・・・
自由党(小沢)
新党さきがけ
公明党は与党になってない、野党になっていた。
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▼第18回参議院通常選挙▼
解説:
●自民党の敗因は、
前年(1997)の国民負担増(消費税率引上げ等)、それに伴う景気の後退、失業率の上昇などとみられる。また、投票直前の橋本総理・閣僚の減税に関する発言が二転三転したことも有権者の不信を招いた。
●自民党は負けたとはいえ野党側の選挙での共闘体制が整っていなかった。
新進党の解党から間もない時期であることで、民主党が野党第一党にこそなったものの、民主、社民の両方から出馬での共倒れの1人区がある一方で、自民党以外では共産党や無所属しか立候補していない選挙区も有るなど、調整がほとんど成功しなかった。
結果として選挙区では無所属候補者が多数当選し、一方で、
●共産党が結党以来最多の当選者を出し、自民批判票の受け皿となった。
●自民党の敗因の一つは当選者3人区以上の区での複数擁立による共倒れであり、自民候補は条件に当てはまる4都県(東京・埼玉・神奈川・愛知)で共倒れして議席を失い、
共産候補がそれらの選挙区でいずれも当選した。
■選挙後、自民党は
現有議席の大幅減を受け、橋本内閣は総辞職した。
後継の小渕恵三内閣は、過半数割れした参議院対策に苦労し、連立を模索するようになる。
議席を獲得できなかった新党さきがけは「さきがけ」に改称、事実上の解散となった。
同党(さきがけ)はのちに「みどりの会議」に改称するが、当選者を出せないまま解散した
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真夏の“怪”?
2012/12/16&2013/7/21共産党「躍進」なのに、なぜか『赤旗』は大幅減
2013年8月11日/産経新聞(高木桂一)
■日刊紙23万部割れの“怪奇現象”?■
2013/7月の参院選で12年ぶりに選挙区で議席を獲得するなど「躍進」を果たした日本共産党だが、党勢拡大の基盤たる機関紙「しんぶん赤旗」の購読部数は2013/7月、大幅に減少していた。
⇒2013/7/3現在日刊紙23万部割れ/
⇒2013/7/3;日曜版の部数は何万部か?は不明(赤旗は発表してない!!)
参院選の結果について、
共産党指導部は「従来の支持層以外からも幅広く支持を得た」と胸を張っている。
ならば⇒機関紙の部数は増えてよさそうなのだが、
選挙真っ只中での「赤旗」の後退は「やはり…」ということらしい。
共産党関係者によると、
2013/7月の「赤旗」購読部数は前月比(2013/6月比)、
日刊紙(月額3400円)が5411部、
日曜版(同800円)が2万2204部それぞれ減らし、
トータルで2万8000部近く落ち込んだ。
【2013/7/3=日刊紙は23万部を割る】↓
とりわけ党の財政基盤となる、
■「赤旗」日刊紙の購読者数はこの10年余の間に36万人から24万人余に後退していた。
がついに「23万部割れ」となった。
2013/7/3日付「赤旗」日刊紙で岩井鐵也党建設委員会責任者は、
「日刊紙は23万を割るという事態にあり、この課題が緊急課題だ」
と危機感を示し、2013/8月の巻き返しを党内に呼びかけた。
共産党はこれまでも、
国政選挙前の数カ月に「赤旗」購読者数拡大への「大号令」を全党にかけ、
部数を瞬間風速的に増やしながら、
選挙中にそれを減らすのが“通常”だった。
共産党幹部はその理由をこう打ち明ける。
「『選挙まで赤旗をとってほしい』と知人に、
◆期限付きで購読を無理強い頼み込み◆、
部数を増やしてきたケースが多いからだ。
また選挙期間中は党員も選挙運動に専念せざるを得ず、
赤旗の部数拡大まで手が回らない事情もある」
共産党関係者によれば、
「赤旗」日刊紙は
2013/4月に119部、
2013/5月に778部、
2013/6月に595部増え、
日曜版も
2013/4月に3039部、
2013/5月に4277部、
2013/6月に4644部拡大した。
しかし2013/7月にその“貯金”を使い果たすどころか、
参院選に向けての「赤旗」読者拡大運動をスタートさせる前よりも減らしてしまっている。
のが実情のようだ。
ちなみに
日曜版の増減幅が大きいのは、
月額購読料が日刊紙より格段に安いため、
購読者数を一時的ながら増やしやすいからである。
志位和夫委員長は2013/2月の第6回中央委員会総会で、
「赤旗」購読者数について「2013/7月の参院選前に(平成22年の)前回参院選時の回復をめざす」とぶちあげたが、結果的に2013/7月の参院選前には前回参院選時の数に大きく届かず、
さらに2013/7月に後退させてしまったのだ。
共産党はH23年(2011)7月に開催した第3回中央委員会総会(3中総)で、
2011年9月からの「赤旗」値上げを決め、党勢拡大のための「大運動」の号令をかけた。
講読部数24万部の「赤旗」日刊紙の赤字が毎月約2億円にのぼるため、
購読料を月2900円から3400円に値上げした上、
部数を2万部増やす目標を掲げていた。
それが日刊紙を26万部に増やすどころか(希望目標日刊紙26万部へのノルマ)
2013/7月「23万部割れ」である。
とはいえ、
今(2012/12/16&2013/7/21)の共産党は、
「赤旗」を年々減らし続けてきたこの10年余とは“勢い”が違う。
H12年の志位委員長-市田忠義書記局長体制発足後、
国政選挙で「8連敗」を喫していたこの党が、15年ぶりに躍進を果たしたのだから、
普通に考えれば2013/7月の「赤旗」購読者数は増えていてもおかしくないだろう。
参院選の結果について、
「自民党の“暴走”を食い止めようと訴える日本共産党の主張に無党派層、とくに若い層の共感を得た」と党幹部は強調しているが、その無党派層を「赤旗」購読までつなげるのはやはり一筋縄でいかないということだ。
なおも党の理論的支柱とされる不破哲三元議長は、
「軒下に雨宿りしている人々に、どうやって家の中に入ってもらうかだ」、
と周囲に語っているというが・・・・・・、
参院選で共産党の躍進をもたらした無党派層の支持も緊急避難的要素が強く、“本物”ではなかったことが、2013/7月の「赤旗」後退でも浮き彫りになった。
「とりあえず共産党に票を入れとくか…」程度の有権者も多かったということだ。
日刊紙の2013/7月「23万部割れ」、
に危機感を抱く共産党は去る2013/7/6日、
党本部で全国都道府県組織部長・機関紙部長合同会議を開き、党勢拡大の「歴史的チャンス」を逃さず、「赤旗」購読者と党員の拡大に向け2013/「8月攻勢」をかける方針を打ち出した。
同会議で市田書記局長は、
「『鉄は熱いうちに打て』ということわざがある。
この2013/8月からスタートダッシュすることが大事だ」と訴えたという。
共産党広報部によると、
今回(2013/7/21)の参院選後、党本部に直接入党を申し出てきた人は計200人を超えた
(2013/8/9日現在)。かつてない勢いとかで、
今後「赤旗」購読者と党員を飛躍的に拡大させていく素地は十分できつつあるという。
まずは猛暑のなかで展開される「8月攻勢」の帰趨が注目される。
(政治部編集委員)
↑↑■2013/7/3現在;日刊紙23万部割れの“怪奇現象”?■↑↑
2012/12/16総選挙・2013/7/21参議院通常選挙で躍進といえど
赤旗が減少・・・・ここに、共産党の官僚的組織の怖さの認知が作動している。
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▼共産市議が離党届「毎月の上納金で生活に支障」▼
2013/11/14読売新聞
日本共産党相模原市議団(4人)の大田浩(37)が、党への多額の寄付やカンパを事実上強制され、生活に支障をきたしているとして、離党、離団届を出したことが2013/11/13日、分かった。
取材に対し大田浩(37)は、
「年間約300万円も上納させられ、公認時にそんな話は聞いていない」と主張。
党神奈川北部地区委員会は、
「詳細を説明している。党公認で当選した以上、役目を果たすべきだ」としている。
大田浩(37)は2011年4月の市議選で初当選。2013/11/8日に離団届を提出し、11/10日に離党届を党に郵送した。離団届は現在、共産党市議団長預かりになっている。
大田浩(37)によると、納付金は、月約48万円(税引き後)の市議報酬のうち、党費と党への寄付金として毎月約16万円。8月と12月には「夏季・冬季カンパ」として各約17万円、年2回の期末手当(ボーナス)時にも各約40万円を納めており、年間総額は約306万円に上る。
①党費+党へ寄付≒16万円/月⇒合計192万円/年間
②夏季・冬季カンパ≒各17万円⇒合計34万円/年間
③年2回期末上納≒各40万円⇒合計80万円/年間
④国政選挙などの際にも臨時のカンパを求められる
総合計上納金①②③=192+34+80=306万円/年間
相模原市議会局によると、
議長、副議長を除く相模原市議の年間報酬は約1090万円(税引き前)。
大田浩(37)は、
国政選挙などの際にも臨時のカンパを求められるとし、
これらの納付が「事実上の強制」と訴えている。
離党、離団については、「昨年(2012)11月に結婚し、子供ができれば生活できなくなるので決断した」と話し、無所属の1人会派で活動していく考えを示した。
共産党の公認候補は、党員の中から選出され、選挙戦で全面的なバックアップを受ける。
共産党規約は、党の資金に関し、
「党費、党の事業収入および党への個人の寄付などによってまかなう」と記載しており、
「党費は実収入の1%とする」と定めている。
大田浩(37)の離党、離団届提出に対し、
共産党神奈川北部地区委員会の菅野道子副委員長は、
「寄付金などの詳細は擁立する際、本人に伝えている」と説明。
「個人ではなく、党として取り組んだ選挙で当選した以上、党の議員として役目を果たしてほしい。思いとどまるよう話し合いたい」としている。
(2013年11月14日読売新聞)
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立憲民主党に食われて大惨敗、共産党の見えない明日
2017/10/26文春オンライン「週刊文春」編集
2017/10/22日に終わった衆院選。
事前の予想に反し、大失速したのは、希望の党だけではなかった。
「ああ、ほっとしたなあ~」(志位)
日付の変わる10分前に沖縄1区で小選挙区唯一の当選者となる赤嶺政賢氏に当選確実の報道が出ると、共産党の志位和夫委員長は小池晃書記局長と拍手で喜んだあと、思わず小声で呟いた。12=11(比例区)+1(小選挙区)
共産党は、前回獲得した21議席を大幅に下回る12議席にとどまった。
特に比例代表での「過去最多となる850万票」の目標は幻に終わり、北海道、中国、四国ブロックでは議席を獲得できなかった。
政治部記者が語る。
「共産党は『確かな野党』として衆院選、参院選、東京都議選と議席を伸ばしていた。自民党も嫌だが、民進党も嫌という層の取り込みに成功していたのです」
この勢いで、衆院選でも民進党、自由党、社民党との選挙協力で議席増を狙っていた。
「多くの選挙区で候補を取り下げ、野党統一候補に一本化する代わりに、15の重点選挙区を指定。そこは共産党候補を推してもらい、沖縄の1議席にとどまっていた小選挙区議席を増やす作戦でした。与党における公明党と同じポジションです」(同前)
民進党とは、硬軟自在の戦略で交渉を優位に進めていた。
野党共闘に賛成すれば、その議員の選挙区の共産党候補を早々に降ろす作戦だ。
「政策理念の違いから共闘に反対だった議員でも、選挙に弱い政治家は共産党にすり寄っていきました。民進党から希望の党に移った議員には、共産党は“刺客”を立てていますが、松野頼久氏や小川淳也氏の選挙区に擁立を見送ったのは、民進時代に共産党と握っていたからです」(民進党関係者)
2017/9月に入って、希望の党が結党されても、共産党幹部はこう余裕を見せていた。
「都議選と同じ構図だ。これで行き場のないリベラル層はうちに来るしかない」
だが、都議選と大きく違ったのは、立憲民主党の誕生だった。リベラル層を立憲民主党に食われ、惨敗に終わった志位氏は「共闘勢力が議席を伸ばすのは嬉しいことだ」と強がったが……。
「そもそも候補の取り下げは、高齢化で縮小する党の支持基盤を踏まえての苦肉の策でもあった」(前出・幹部)
公明党と同じく、「下駄の雪」となるのか、もう一度独自路線に舵を切るのか。
展望は見えない。
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「下駄の雪」とは、
「力のある者についていく者のこと」。 語源になったのは「踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪」といった内容の都都逸(どどいつ)との説もあるが、永田町界隈の政治用語でもある。
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衆議院で、
日本共産党が0議席にはならないが、10議席程度なのはなぜだろうか?
2012年=21議席の偶発的躍進をしてから、何をしたのか?不明
例えば、
議員報酬半減法案(議員立法)でも(廃案になってもよいから)提出したか?⇒していない
秘書給与での何らかの形で法案提出したか?⇒していない
21議席分の報酬から、天引きして党財政に吸い取った。だけ
この党は、昔々、
北朝鮮のチョンリマ大躍進と謳い、大いに赤旗で称賛した。
中国の文化大革命も赤旗で社会主義国は素晴らしいと称賛し毛沢東万歳!!
それが、今や、そんな事、言いましたけっ!と知らん顔、
そう言う事実には、触れない!語らない!知らない!。
野坂参三・宮本賢治の獄門島の様な憲兵・東ドイツの様なスパイ拷問事件など
日本共産党のけっして語らず,開かずの間の親先祖(野坂/宮本)の血しぶきの流れをくむ。
放送禁止用語の様にごく普通の組織政党として丸い党らしくふるまっていいる。
が、いつでもジキルハイドの如く豹変する怖さの臭いが染み出ている。
晋三が”こんな人”とたった4文字を発しただけで、発言禁止用語として、
徹底的に金づちで叩かれて、丸く球体にされた。
むろん、改憲晋三とはいえ、国民の金槌(カナヅチ)による球体成形で、
人間首相と言うよりも、レプリカ首相となる。
自民党とは言え、共和党と民主党の合体党であり、
あえて、共産党と言う不気味な党は必要としていない。
中国・ロシアなどその共産党実践国のファシスト政権的印象から、
日本共産党のあえて1桁議席で十分と考えている日本国民は多いなのである。
共産党委員長が引退後は、共産党独自の年金制度で実に優雅な老後が永年保障されている。
こんな商売、やめられない,とまらない。
大須田勉

共産党の衆院選では、
2012年=8議席
2014年=21議席(偶発的大躍進)
2017年=12議席(2017/10/22衆議院総選挙投票日、比例=11,小=1)
おそらく共産党の衆議院標準議席数はμ=10議席で永年定着。
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共産党90周年、陰りの道 党勢ジリ貧 [反原発]主導できず
2012年7月15日産経新聞
【2013/7/3現在日刊紙23万部割れ記事は最下部↓】
日本共産党(志位和夫委員長)は2012/7/15日、結党90周年を迎えた。
非合法政党として発足したのは大正11年で、現在の主要政党では最も古いが、
党勢は低迷している。
民主、自民両党の二大政党に不満を持つ層の受け皿となる戦略は奏功せず、既成政党の一つとして埋没気味なのは否めない。
党員の高齢化や財政難など構造的な課題も山積だ。(佐々木美恵)
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◆「苦労した10年」◆
「自民か民主かのキャンペーンが行われ、
共産党は蚊帳の外に置かれ、苦労した10年だった」
志位和夫は2012/7/13日の記者会見で、最近の10年間についてこう振り返った。
平成16年(2004)には党綱領を43年ぶりに全面改定し、
■イデオロギー色の強い「前衛党」や「労働者階級の権力」などの文言は削除。
■自衛隊や象徴天皇制の容認方針を打ち出して「ソフト路線」を強めたが、
国会の議席増に結びつかなかった。
古参党員は反発し、有権者からは見せかけにすぎないと受け止められたためだ。
H16年(2004)綱領の《 案 》を公表した直後のH15年(2003)衆院選では、
改選前20議席を9議席に大幅に減らし、それ以降議席数は横ばい。
中選挙区制時代とはいえ、昭和54年(1979)の衆院選で41議席を得たのとは隔世の感がある。
志位和夫は民主、自民、公明3党が消費税増税法案の可決に踏み切ったことや民主党の分裂、福島第1原発事故以来の反原発論の高まりから、「反転攻勢につながる潮目の変化を感じる」と期待を寄せている。
共産党は、非自民・非共産の各党が結集した「新進党」(平成6年12月~9年12月)が解党した過程で批判票の受け皿になったと分析している。
H8年(1996)の衆院選の比例代表で727万票、
H10年(1998)の参院選の比例代表で820万票を得た。
H21年(2009)の衆院選の比例代表は494万票、
H22年(2010)の参院選の比例代表の得票は356万票で、
これ以上の減少は何としても避けたいところだ。
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◆機関紙収入も苦戦◆
組織の弱体化は深刻だ。
■党員数は、
H2年(1990)には50万人を誇ったが、
今年(2012,H24)5月1日現在で31万8千人。
■党収入の柱の機関紙の読者は、
10年前(2002,H14)の約190万人からH22年(2010)には約145万人となり、
苦戦している。
■党員の高齢化も加わり、組織の弱体化が党勢拡大の足を引っ張る悪循環も起きている。
実際、H20年(2008)にワーキングプアの社会問題化に伴う『 蟹工船 』ブームでも、
党勢挽回のチャンスを逃している。
共産党は「反消費税」「反原発」を昔から強く主張してきたが、
○消費税増税反対では、新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表らの動きが目立ち、
○反原発でも共産党は運動の主導権を握れていない。
今年(2012,H24)5月には「全国活動者会議」を25年ぶりに招集し、
党員や機関紙読者獲得の大号令をかけた。
2012/6月に2千人、今月(2012/7)に入ってから千人の入党者を得たが、
それでも昨年(2011,H23)決めた新規入党目標の5万人に対し、
約1万2千人の獲得にとどまっている。
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《 政党 》から、《 政治団体 》に名称が変わるのはいつだろう~?
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2012/12/16衆議院総選挙 &
2013/7/21参議院通常選挙 の
共産党躍進の理由はどこにあるのか?!!
潜水艦の瞬間風速的急浮上は?
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本質は革命政党「政権とれない」安心感も、しかし民意はうつろいやすい!!
2013/8/5ZAKZAK
■選挙事情に詳しい永田町関係者はこう分析する↓。
①「昨年(2012/12/16)の衆院選で日本維新の会を支持した人が共産党に流れたケースが多かった。“右”から“左”への急旋回だが、そうした人はインテリ層によくみられる。まさか共産党が政権をとれるわけがないという『安心感』も、そんな投票行動につながった」
②「自民への対抗軸」として期待された野党が自滅した際、
共産党が瞬間風速的に浮上することは、これまでの選挙の歴史が証明している。
■平成10年(1998)/7/12の参院選通常選挙■
橋本龍太郎首相(当時)の恒久減税発言に批判が強まる中、
離合集散を繰り返す野党への不信感から共産党に無党派層が一点集中した。
だが、
今回(2013/7/21)の参院選での成果は必ずしも、
“漁夫の利”だけではなかった。
東京、大阪、京都の各選挙区で当選した3人のうち2人は30代。
戦力の「若返り」だ。党員の高齢化に伴って先細る党勢を巻き返そうと若年層の党員獲得に躍起になってきたが、「やっと若手の人材が育ち、戦略の効果が表れてきた」(党幹部)という。
昨年(2012/12/16)の衆院選選挙区で擁立した299人の候補者のうち30代は51人で17%。
今回(2013/7/21)の参院選ではさらに新陳代謝が進み、選挙区の候補者46人のうち30代は12人。4人に1人は30代という計算だ。
ちなみに自民党の選挙区候補49人のうち30代は6人で12%余りだ。
今回の参院選で導入されたネット選挙解禁も追い風にした。
「今までの支持者層とはまた別の新しい層にも訴えが浸透していった実感がある」。
東京選挙区で当選した吉良佳子参院議員(30共産)はそう語る。
共産党はホームページ(HP)に特設サイト「カクサン(拡散)部」を開設し、8人のゆるキャラマスコットを使って政策を訴えた。各候補者はフェイスブックやブログをフル活用した。
党幹部は「『原発』『雇用』『憲法』を3点セットに、逃げずに真正面から有権者とやりとりした。
訴えは広く拡散され、若い層へのネット効果は大きかった」と強調する。
志位和夫も5月からツイッターを始め、お気に入りのクラシック音楽や猫のこともつぶやくなど
「ソフト路線」の最前線に立った。
極めつきは志位和夫の選挙ポスターだ。
撮影したのは「女優写真」の第一人者とされる立木義浩。
微妙に「左傾」した頭の角度に、普段は見せないようなほほえみ、そして演歌歌手ばりの握りこぶし…。「大ヒット演歌『さざんかの宿』の大川栄策にそっくりだ」という声も聞かれた。
他の野党からは
「若返りなどイメージの打ち出し方を変えて成功した。
統一したイメージを作れないわが党と違う」(民主党幹部)と恨み節も聞こえる。
「軒先で雨宿りしている人に、どう家の中に入ってもらうかだ」(不破)。
党の理論的支柱とされる不破哲三元議長は周囲にこう話しているという。
⇒党への無党派層の支持は緊急避難的要素が強く、本物ではない。
志位和夫は2013/8/2日、
「日本共産党への新たな期待や関心が広がっている」と新人議員を鼓舞した。
⇒しかし、民意はうつろいやすい。
共産党は、
日の丸・君が代を国旗・国歌とする事に反対している。
天皇を迎える国会開会式をボイコットしている。
政党助成金を受け取ってない(startから∑総合計で何億円拒否したのかガマン強い)
などなど・・・・
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▼補 足▼説明/1998年現象▼
第18回参議院通常選挙1998(H10)/7/12
選挙"結果"=改選+非改選=合計
自民党=103=与党(橋本龍太郎)
▼野党
民主党=47
共産党=23=15+8
公明党=22
自由党=12
社民党=13
新党さきがけ=13
自由連合=1
無所属=28
総合計=252議席
■日本共産党の"選挙前"=改選(6)+非改選(8)=14議席■
第18回通常選挙により
6議席(選挙前)から ⇒ 15議席(選挙後)に増加・・・<+9議席増>
この当時・・・
自由党(小沢)
新党さきがけ
公明党は与党になってない、野党になっていた。
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▼第18回参議院通常選挙▼
解説:
●自民党の敗因は、
前年(1997)の国民負担増(消費税率引上げ等)、それに伴う景気の後退、失業率の上昇などとみられる。また、投票直前の橋本総理・閣僚の減税に関する発言が二転三転したことも有権者の不信を招いた。
●自民党は負けたとはいえ野党側の選挙での共闘体制が整っていなかった。
新進党の解党から間もない時期であることで、民主党が野党第一党にこそなったものの、民主、社民の両方から出馬での共倒れの1人区がある一方で、自民党以外では共産党や無所属しか立候補していない選挙区も有るなど、調整がほとんど成功しなかった。
結果として選挙区では無所属候補者が多数当選し、一方で、
●共産党が結党以来最多の当選者を出し、自民批判票の受け皿となった。
●自民党の敗因の一つは当選者3人区以上の区での複数擁立による共倒れであり、自民候補は条件に当てはまる4都県(東京・埼玉・神奈川・愛知)で共倒れして議席を失い、
共産候補がそれらの選挙区でいずれも当選した。
■選挙後、自民党は
現有議席の大幅減を受け、橋本内閣は総辞職した。
後継の小渕恵三内閣は、過半数割れした参議院対策に苦労し、連立を模索するようになる。
議席を獲得できなかった新党さきがけは「さきがけ」に改称、事実上の解散となった。
同党(さきがけ)はのちに「みどりの会議」に改称するが、当選者を出せないまま解散した
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真夏の“怪”?
2012/12/16&2013/7/21共産党「躍進」なのに、なぜか『赤旗』は大幅減
2013年8月11日/産経新聞(高木桂一)
■日刊紙23万部割れの“怪奇現象”?■
2013/7月の参院選で12年ぶりに選挙区で議席を獲得するなど「躍進」を果たした日本共産党だが、党勢拡大の基盤たる機関紙「しんぶん赤旗」の購読部数は2013/7月、大幅に減少していた。
⇒2013/7/3現在日刊紙23万部割れ/
⇒2013/7/3;日曜版の部数は何万部か?は不明(赤旗は発表してない!!)
参院選の結果について、
共産党指導部は「従来の支持層以外からも幅広く支持を得た」と胸を張っている。
ならば⇒機関紙の部数は増えてよさそうなのだが、
選挙真っ只中での「赤旗」の後退は「やはり…」ということらしい。
共産党関係者によると、
2013/7月の「赤旗」購読部数は前月比(2013/6月比)、
日刊紙(月額3400円)が5411部、
日曜版(同800円)が2万2204部それぞれ減らし、
トータルで2万8000部近く落ち込んだ。
【2013/7/3=日刊紙は23万部を割る】↓
とりわけ党の財政基盤となる、
■「赤旗」日刊紙の購読者数はこの10年余の間に36万人から24万人余に後退していた。
がついに「23万部割れ」となった。
2013/7/3日付「赤旗」日刊紙で岩井鐵也党建設委員会責任者は、
「日刊紙は23万を割るという事態にあり、この課題が緊急課題だ」
と危機感を示し、2013/8月の巻き返しを党内に呼びかけた。
共産党はこれまでも、
国政選挙前の数カ月に「赤旗」購読者数拡大への「大号令」を全党にかけ、
部数を瞬間風速的に増やしながら、
選挙中にそれを減らすのが“通常”だった。
共産党幹部はその理由をこう打ち明ける。
「『選挙まで赤旗をとってほしい』と知人に、
◆期限付きで購読を無理強い頼み込み◆、
部数を増やしてきたケースが多いからだ。
また選挙期間中は党員も選挙運動に専念せざるを得ず、
赤旗の部数拡大まで手が回らない事情もある」
共産党関係者によれば、
「赤旗」日刊紙は
2013/4月に119部、
2013/5月に778部、
2013/6月に595部増え、
日曜版も
2013/4月に3039部、
2013/5月に4277部、
2013/6月に4644部拡大した。
しかし2013/7月にその“貯金”を使い果たすどころか、
参院選に向けての「赤旗」読者拡大運動をスタートさせる前よりも減らしてしまっている。
のが実情のようだ。
ちなみに
日曜版の増減幅が大きいのは、
月額購読料が日刊紙より格段に安いため、
購読者数を一時的ながら増やしやすいからである。
志位和夫委員長は2013/2月の第6回中央委員会総会で、
「赤旗」購読者数について「2013/7月の参院選前に(平成22年の)前回参院選時の回復をめざす」とぶちあげたが、結果的に2013/7月の参院選前には前回参院選時の数に大きく届かず、
さらに2013/7月に後退させてしまったのだ。
共産党はH23年(2011)7月に開催した第3回中央委員会総会(3中総)で、
2011年9月からの「赤旗」値上げを決め、党勢拡大のための「大運動」の号令をかけた。
講読部数24万部の「赤旗」日刊紙の赤字が毎月約2億円にのぼるため、
購読料を月2900円から3400円に値上げした上、
部数を2万部増やす目標を掲げていた。
それが日刊紙を26万部に増やすどころか(希望目標日刊紙26万部へのノルマ)
2013/7月「23万部割れ」である。
とはいえ、
今(2012/12/16&2013/7/21)の共産党は、
「赤旗」を年々減らし続けてきたこの10年余とは“勢い”が違う。
H12年の志位委員長-市田忠義書記局長体制発足後、
国政選挙で「8連敗」を喫していたこの党が、15年ぶりに躍進を果たしたのだから、
普通に考えれば2013/7月の「赤旗」購読者数は増えていてもおかしくないだろう。
参院選の結果について、
「自民党の“暴走”を食い止めようと訴える日本共産党の主張に無党派層、とくに若い層の共感を得た」と党幹部は強調しているが、その無党派層を「赤旗」購読までつなげるのはやはり一筋縄でいかないということだ。
なおも党の理論的支柱とされる不破哲三元議長は、
「軒下に雨宿りしている人々に、どうやって家の中に入ってもらうかだ」、
と周囲に語っているというが・・・・・・、
参院選で共産党の躍進をもたらした無党派層の支持も緊急避難的要素が強く、“本物”ではなかったことが、2013/7月の「赤旗」後退でも浮き彫りになった。
「とりあえず共産党に票を入れとくか…」程度の有権者も多かったということだ。
日刊紙の2013/7月「23万部割れ」、
に危機感を抱く共産党は去る2013/7/6日、
党本部で全国都道府県組織部長・機関紙部長合同会議を開き、党勢拡大の「歴史的チャンス」を逃さず、「赤旗」購読者と党員の拡大に向け2013/「8月攻勢」をかける方針を打ち出した。
同会議で市田書記局長は、
「『鉄は熱いうちに打て』ということわざがある。
この2013/8月からスタートダッシュすることが大事だ」と訴えたという。
共産党広報部によると、
今回(2013/7/21)の参院選後、党本部に直接入党を申し出てきた人は計200人を超えた
(2013/8/9日現在)。かつてない勢いとかで、
今後「赤旗」購読者と党員を飛躍的に拡大させていく素地は十分できつつあるという。
まずは猛暑のなかで展開される「8月攻勢」の帰趨が注目される。
(政治部編集委員)
↑↑■2013/7/3現在;日刊紙23万部割れの“怪奇現象”?■↑↑
2012/12/16総選挙・2013/7/21参議院通常選挙で躍進といえど
赤旗が減少・・・・ここに、共産党の官僚的組織の怖さの認知が作動している。
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▼共産市議が離党届「毎月の上納金で生活に支障」▼
2013/11/14読売新聞
日本共産党相模原市議団(4人)の大田浩(37)が、党への多額の寄付やカンパを事実上強制され、生活に支障をきたしているとして、離党、離団届を出したことが2013/11/13日、分かった。
取材に対し大田浩(37)は、
「年間約300万円も上納させられ、公認時にそんな話は聞いていない」と主張。
党神奈川北部地区委員会は、
「詳細を説明している。党公認で当選した以上、役目を果たすべきだ」としている。
大田浩(37)は2011年4月の市議選で初当選。2013/11/8日に離団届を提出し、11/10日に離党届を党に郵送した。離団届は現在、共産党市議団長預かりになっている。
大田浩(37)によると、納付金は、月約48万円(税引き後)の市議報酬のうち、党費と党への寄付金として毎月約16万円。8月と12月には「夏季・冬季カンパ」として各約17万円、年2回の期末手当(ボーナス)時にも各約40万円を納めており、年間総額は約306万円に上る。
①党費+党へ寄付≒16万円/月⇒合計192万円/年間
②夏季・冬季カンパ≒各17万円⇒合計34万円/年間
③年2回期末上納≒各40万円⇒合計80万円/年間
④国政選挙などの際にも臨時のカンパを求められる
総合計上納金①②③=192+34+80=306万円/年間
相模原市議会局によると、
議長、副議長を除く相模原市議の年間報酬は約1090万円(税引き前)。
大田浩(37)は、
国政選挙などの際にも臨時のカンパを求められるとし、
これらの納付が「事実上の強制」と訴えている。
離党、離団については、「昨年(2012)11月に結婚し、子供ができれば生活できなくなるので決断した」と話し、無所属の1人会派で活動していく考えを示した。
共産党の公認候補は、党員の中から選出され、選挙戦で全面的なバックアップを受ける。
共産党規約は、党の資金に関し、
「党費、党の事業収入および党への個人の寄付などによってまかなう」と記載しており、
「党費は実収入の1%とする」と定めている。
大田浩(37)の離党、離団届提出に対し、
共産党神奈川北部地区委員会の菅野道子副委員長は、
「寄付金などの詳細は擁立する際、本人に伝えている」と説明。
「個人ではなく、党として取り組んだ選挙で当選した以上、党の議員として役目を果たしてほしい。思いとどまるよう話し合いたい」としている。
(2013年11月14日読売新聞)
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立憲民主党に食われて大惨敗、共産党の見えない明日
2017/10/26文春オンライン「週刊文春」編集
2017/10/22日に終わった衆院選。
事前の予想に反し、大失速したのは、希望の党だけではなかった。
「ああ、ほっとしたなあ~」(志位)
日付の変わる10分前に沖縄1区で小選挙区唯一の当選者となる赤嶺政賢氏に当選確実の報道が出ると、共産党の志位和夫委員長は小池晃書記局長と拍手で喜んだあと、思わず小声で呟いた。12=11(比例区)+1(小選挙区)
共産党は、前回獲得した21議席を大幅に下回る12議席にとどまった。
特に比例代表での「過去最多となる850万票」の目標は幻に終わり、北海道、中国、四国ブロックでは議席を獲得できなかった。
政治部記者が語る。
「共産党は『確かな野党』として衆院選、参院選、東京都議選と議席を伸ばしていた。自民党も嫌だが、民進党も嫌という層の取り込みに成功していたのです」
この勢いで、衆院選でも民進党、自由党、社民党との選挙協力で議席増を狙っていた。
「多くの選挙区で候補を取り下げ、野党統一候補に一本化する代わりに、15の重点選挙区を指定。そこは共産党候補を推してもらい、沖縄の1議席にとどまっていた小選挙区議席を増やす作戦でした。与党における公明党と同じポジションです」(同前)
民進党とは、硬軟自在の戦略で交渉を優位に進めていた。
野党共闘に賛成すれば、その議員の選挙区の共産党候補を早々に降ろす作戦だ。
「政策理念の違いから共闘に反対だった議員でも、選挙に弱い政治家は共産党にすり寄っていきました。民進党から希望の党に移った議員には、共産党は“刺客”を立てていますが、松野頼久氏や小川淳也氏の選挙区に擁立を見送ったのは、民進時代に共産党と握っていたからです」(民進党関係者)
2017/9月に入って、希望の党が結党されても、共産党幹部はこう余裕を見せていた。
「都議選と同じ構図だ。これで行き場のないリベラル層はうちに来るしかない」
だが、都議選と大きく違ったのは、立憲民主党の誕生だった。リベラル層を立憲民主党に食われ、惨敗に終わった志位氏は「共闘勢力が議席を伸ばすのは嬉しいことだ」と強がったが……。
「そもそも候補の取り下げは、高齢化で縮小する党の支持基盤を踏まえての苦肉の策でもあった」(前出・幹部)
公明党と同じく、「下駄の雪」となるのか、もう一度独自路線に舵を切るのか。
展望は見えない。
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「下駄の雪」とは、
「力のある者についていく者のこと」。 語源になったのは「踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪」といった内容の都都逸(どどいつ)との説もあるが、永田町界隈の政治用語でもある。
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衆議院で、
日本共産党が0議席にはならないが、10議席程度なのはなぜだろうか?
2012年=21議席の偶発的躍進をしてから、何をしたのか?不明
例えば、
議員報酬半減法案(議員立法)でも(廃案になってもよいから)提出したか?⇒していない
秘書給与での何らかの形で法案提出したか?⇒していない
21議席分の報酬から、天引きして党財政に吸い取った。だけ
この党は、昔々、
北朝鮮のチョンリマ大躍進と謳い、大いに赤旗で称賛した。
中国の文化大革命も赤旗で社会主義国は素晴らしいと称賛し毛沢東万歳!!
それが、今や、そんな事、言いましたけっ!と知らん顔、
そう言う事実には、触れない!語らない!知らない!。
野坂参三・宮本賢治の獄門島の様な憲兵・東ドイツの様なスパイ拷問事件など
日本共産党のけっして語らず,開かずの間の親先祖(野坂/宮本)の血しぶきの流れをくむ。
放送禁止用語の様にごく普通の組織政党として丸い党らしくふるまっていいる。
が、いつでもジキルハイドの如く豹変する怖さの臭いが染み出ている。
晋三が”こんな人”とたった4文字を発しただけで、発言禁止用語として、
徹底的に金づちで叩かれて、丸く球体にされた。
むろん、改憲晋三とはいえ、国民の金槌(カナヅチ)による球体成形で、
人間首相と言うよりも、レプリカ首相となる。
自民党とは言え、共和党と民主党の合体党であり、
あえて、共産党と言う不気味な党は必要としていない。
中国・ロシアなどその共産党実践国のファシスト政権的印象から、
日本共産党のあえて1桁議席で十分と考えている日本国民は多いなのである。
共産党委員長が引退後は、共産党独自の年金制度で実に優雅な老後が永年保障されている。
こんな商売、やめられない,とまらない。
大須田勉