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Channel: 日本共産党の赤い貴族問題
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当時日本共産党都議=福井典子の万引き事件を代々木病院精神科で隔離して正当化・強制収容所

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日本共産党・代々木病院精神科部長=中沢正夫と言うセレブ大幹部

「福祉倶楽部」主催の福井典子は、日本共産党の万引き都議事件=1991事件」



■東京勤労者医療会 代々木病院
住所=〒151-8556=東京都渋谷区千駄ヶ谷1-30-7
電話=03-3404-7661(代表):FAX=03-3404-7456
●病床数=150床
150床(回復期リハビリ病棟49床、人間ドック3床)、透析ベッド35床
●診療科目
精神科・
内科・循環器科・消化器科・呼吸器科・リハビリテーション科
・外科・神経科・整形外科・眼科・皮膚科・婦人科・麻酔科・泌尿器科



■なぜ、万引き程度でこれほど、20年も経っているのに、
2010年の今も、ネット話題の題材になるのか?
それは、
日本共産党=代々木病院=思想の押し潰し強制収容所、に
のり、暗黒の闇病院に逃げ切りようとした福井典子の行動にある。
代々木病院に行かなければ、これほどの話題にならなかった。




↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

★1991年平成3年6月10日11時すぎに、
日本共産党の福井典子都議(当時)
が新宿西口の百貨店で、2万3千円相当の万引きをしました。

大手各新聞社とも、
「福井典子もつい魔がさしてやったと認めている」と報道し、


渋谷区選出の日本共産党元都議会議員=福井典子は
新宿の小田急デパートで ネックレスを万引き
警察では、「魔が差してしまった」と供述

しかし
日本共産党は、「てんかんの発作」によるもの として、
犯罪性を否定。日本てんかん協会の会長のコメントを紹介しながら
福井典子の「万引き」を正当化した。

その福井典子は、都議を引退、日本共産党都委員会の勤務員となったが
●「福祉倶倶楽部」を主催。自分の犯歴を隠しながら、全国各地を講演している。

福井典子は1993年4月渋谷区初台に高齢者、障害者の福祉の向上目指して
「福祉倶楽部」を発足させ、地域の拠点として活動し、介護保険制度が成立してからは制度の問題点や改善の方向などを各地で講演やシンポジュームを主催するなど運動の先頭になって奮闘されています。


当時の新聞も「赤旗」以外つまり一般の商業新聞は
当時の現職都議会議員の福井典子が小田急デパートで万引きして、
福井典子本人もデパートの警備員および警察署に罪を自供した。
犯意を認め、反省しているために即日釈放された。

ただ、その釈放のために、
日本共産党茶川克己都議(当時)が新宿警察に根回ししたという話もあり。
茶川克己都議は、都議の肩書きを利用し、
駐車違反のモミ消しに関与したことで、
日本共産党中央委員会から査問を受けている。


「デパート側も理解を示し、告訴していない」
したがって、いったんは取り押さえ、警察に通報され、「逮捕(ここは記憶が不十分)」も、
その後、「万引き」としては状況が違いすぎる(隠そうともしないでレジを通過)こと、
諸事情(家庭の問題で精神的に追い詰められていたこと、
いわゆる「癲癇」の症状がみられたこと)が明らかになったことで、
デパート側も告発しないこととなった。


てんかん(癲癇、Epilepsy)


日本共産党も当初厳しい対応を想定していたが、事態の推移の中で、適切な対応をとった。
赤旗は当時、もし事実なら福井典子に然るべき措置をとるという厳しさを打ち出していた。




福井典子は辞職願いを出したのです。が、
恐ろしいのは、1991年6月14日の赤旗の記事のほうです。
ここに引用してみましょう。


↓赤旗記事↓
●『常識では到底考えられない事態であり、私たちも大変びっくりしました。
心身の健康状態とも関係があるのではないかと憂慮して、福井典子本人
の同意も得て、福井典子前都議に医師の診断を受けてもらいました。

その 結果、
脳波に顕著な異常が見られることがわかりました。
脳波の異常 について、代々木病院(民医連系)の精神科医に他の病院の専門家
(民医連系の)もくわわって合診を行っていただき、

”挿間性意識変 容”で当面入院加療を要すると診断されました。

・・・医師の意見では、体調をくずしたなかで、この症状が起こ り、
意識がもうろう状態に陥り、今回の異常な行為(万引き)となったもの
とみられるとのことでした。』




●週刊新潮は1991年6月27日号で
「さっそく、事件を”病気”のせいにして始 末をつけようというわけである。
診断結果まで発表された福井典子、
たち まち、共産党系の代々木病院に”隔離”されてしまった。」と報じま した。



●筑波大学の小田晋教授(精神病理学)は、
”挿間性意識変容”という病名は ないとした上で、
”挿間性朦朧状態”というのはあるが、

この場合でも、症状は前々から出ていなければおかしいので、
いきなり万引きをしてその 病気がわかるということは考えにくい、
と述べております。


さらに、ゼンボウ誌は、
「代々木病院は6階建ての本館と東館と呼ばれる4階建ての新館からなっている。
福井典子はここの6階の党幹部専用の” 隠し病棟”にいる。
普通なら日本共産党の都議会議員程度では入院できない場所 である。
そのため福井典子は、同じ病棟に入院している他の党幹部たちと接 触できない
ように特別の個室に軟禁状態にされ、入院させられているの である。
・・・福井典子のために代々木病院の精神科医に属する医師たちによって
”医師団”が編成されている。



●主治医は代々木病院の精神・神経科部長の”中沢正夫”で、
そのほかに同科員の小牟田、安東という2人の医師が加わっている。
さらに代々木病院の分院ともいうべき埼玉県三郷市の”みさと協立病院”
の精神科医・雪田慎二も顔を出している。このような大袈裟な”医師団”を
そろえたのは、福井典子が本当に精神に問題があっての行動だとマスコミに
宣伝するために意図的に集めたのではないか、との声もある」と伝えています。





1987年に『選択』に掲載された
「日本共産党・代々木病院--公安ものぞけぬ文字どおりの聖域」では、
「(宮本顕治による)小畑達夫リンチ殺人事件を出すまでもなく、
日本共産党に自己批判とリンチはつきものだが、あの病院(代々木病院)
は一貫してその後始末をしてきた。

日本共産党が代々木病院を持っていれば、事実が外部に漏れることはない。
警察の介入を防げるわけだ。
・・・やろうと思えばニセの死亡届だって書けるし、
入院させて”消したいCの場合”のようにうまい治療で殺すことだってできる」
という記事が載っています。

代々木病院の医師は、全員が日本共産党員で、履歴を厳しくチェックされ、
相互監視体制を身に付けさせられ、万一秘密をもらしたら家族ともども
社会的死が待っていることを教え込まれます。怖い話しではありませんか。


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■あるブログ記事のコピー■

福井典子高齢者集会で講演 << 作成日時=2009年3月17日 >>


2009年2月15日に開かれた「江東区高齢者集会」の分科会に
福祉倶楽部主宰の福井典子が助言者として江東区に来られました。
テーマは「人間らしく暮らしたい」。これには48名が参加。
福井典子の助言のもと大勢の人が発言、盛り上がりました。


以下、参加者の感想を紹介します。
草の根の活動の重要さを感じる分科会、助言でした。

・心配な事としては、将来のことが大きい。年金も払っているが、もらえる保証ははどこにもないし、どうなるか不透明だと思った。(20代女)

・今心配していることは、自分の将来。年金制度がまだ続いているのか、払う意味はあるのか、貯金のほうがいいのでは?ということ。また仕事も心配。自分は資格職なのでまだ就職先はのこっているが、まわりの同学年の人は転職もとても苦労しているし、安定した収入がないと、なかなか結婚にも踏み切れない。すると少子化にもつながってくる。少子化になり年金を払う人が少なくなり、高齢者が多くなれば、年金制度が崩壊しないわけがないと思う。(20代女)


・福井典子はとっても元気ですね。明日は必ずくるので、しっかり自分の分野を守り続けていきたいと思いました。(40代女)

・福井典子のお話をうかがいたいと思いながら、なかなか機会がありませんでしたが、とてもお元気で明るく、行動的で励まされました。私は、あと3年で定年になりますが、まだまだ住宅ローンが残っている上、年金、医療など老後の心配が切実です。公立の保育士ですが、高齢者に関わる問題だけでなく、保育の問題も取り上げてくださったことは嬉しく思いました。(50代女)

・順番に老いを迎えていくので、沢山の今回の方の発言を聞き、とても勉強になりました。(50代女)

・年金、介護問題話題が多く、本当にみんなの力を結集することが大事だと思いました。助言者・福井典子の力強い元気な話が印象的でした。(60代女)

・短い時間でしたが、どの話も身につまされました。まとめの先生の話は、NPOの運動を進める上で、とっても参考になりました。実践します。(60代女)

・福井典子の実践にもとづいた元気な話、すごいですね。具体的な要求を皆で力を合わせて行政へもっていくことの大切さ、よく分かりました。(60代女)

・高齢者社会が進んでいるのに、問題が山積み。例えば「後期高齢者医療制度」「介護保険制度」どの問題をとっても、お話を聞いているだけで、暗く落ち込みます。おかしいなと感じたら、行動すること、この言葉で一歩一歩進むことだと強く思いました。(60代女)

・福井典子の話はメリハリがはっきりしていて、とてもわかりやすく学びました。今、一番の心配は、健康と医療費です。このところ、医療費の出費が重なり、これがますます増えたらと思うと大変心配です。ヨーロッパや訪ねたことのあるキューバのような社会保障、医療費無料になったら、どんなに安心して老後がくらせるかと思います。(70代女)

・とても有意義な文化会であった。特に年金問題が参考になった。(70代男)

・さまざまな立場、環境の人たちがいるものだと感じた。(70代男)

・病院や老人ホームに、医師、看護師、介護職が沢山いて、報酬も充分にあるようにして欲しい。(70代女)

・ヘルパーの質を高めていくことは、公的な分野で育ててから地域に出してほしい。人間としての心配りを必要とすることを忘れてはいけない。(70代女)

・福井典子の話にはとても励まされました。もう年をとったら何もできないという気持ちを捨てて、健康に充分気をつけてがんばりたいと思いました。(80代女)



■・”福井典子とは都議会議員の時代”から講義をきいています。■

お話はたいへんよかったです。参加されたみなさんから色々なお話が出されて、よい分科会だったと思います。(80代女)


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福井典子の履歴書は、

1993 年に高齢者・障害者の相談・よりどころ「福祉倶楽部」を開設し、
主宰として活動を続けてこられました。

また、
福井典子の娘が重い障害をもち、
福井典子自身もてんかん患者であることから、
①日本障害者協議会(JD)理事や
②日本てんかん協会の理事として、
障害者自立支援法反対の運動の先頭に立ち、
さらに最近は、“おばあちゃんの原宿”東京・巣鴨のとげぬき地蔵でのユニークな街頭活動など、高齢者運動も精力的に展開。
③渋谷区社会保障推進協議会会長、
④東京社会保障推進協議会副会長としても、
社会保障運動に取り組んでおられます。

⑤月刊誌「福祉のひろば」全国編集委員も務め、
分野を超えて幅広く、草の根からの福祉活動・福祉運動を進める福井典子。

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月刊正論の「【対談】日本共産党の“収容所列島” 」を読みとると、
次のような内容になっている。対談は、

「元日本共産党国会議員秘書・兵本達吉、
元民青中野地区委員会副委員長・安東親範、
司会/産経新聞政治部次長・関田伸雄 」。


●日本共産党系の医療機関団体「全日本民主医療機関連合会(民医連)」の総本山とも言える東京の代々木病院が、日本共産党内反対派の精神鑑定所に使われていると云う。日本共産党や最高指導者への批判者や異分子が送り込まれ、「精神病患者」のレッテルを貼って葬り去る手段として利用されている形跡が認められると云う。その様は、「世界の共産主義諸国において人権弾圧の中心的役割を果たした
強制収容所(ラーゲリ)」、「ソルジェニーツインが描いた゛収容所列島″の日本版」と云う。


対談の二人は、強制的に代々木病院精神科で精神鑑定を受けさせられた経緯の持主で、
後に告発している結果的に告発仲間という関係にある。


兵本達吉の証言は以下の通り。
浜本達吉は、1990(平成2)年の年賀状に
「宮本顕治独裁三十年」と書いたことが問題にされた。

それは、前年末のルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻逮捕銃殺事件が関係していた。
日本共産党はそれまでチャウシェスクを「東欧の自主独立の政策を進めている人物であり、国内的には社会主義国家の建設を順調にやっている」と称え、「ルーマニア人民の英雄である」と天まで持ち上げていた。あるいは、
宮本顕治委員長はソ連を訪問してブレジネフと共同声明を発表して世界平和を謳い上げた声明発表のわずか三日後にソ連はアフガンに軍事侵入したことも関係していた。
日本共産党中央は、これらに政治責任を露ほどもみせなかった。これが、
「宮本顕治独裁三十年」の背景であった。


兵本達吉は、年明けで国会(参院議員会館)へ出勤したら、
日本共産党本部の書記局から年賀状問題を詰問された。ここで、貴重な証言が為されている。
「書記局長や国対委員長の決裁で決まった国会の代表質問の原稿が宮本顕治の鶴の一声で正反対の内容に書き換えさせられたこともたびたびあった」。


兵本達吉は、一応形だけ始末書を書いたが、「精神鑑定を受けろ」ということになり、いろいろ理由をつけて逃げ回っていたところ、日本共産党の国会の事務局長から自宅に早朝電話がかかってきて「今日はほかの仕事をさておいてまず代々木病院に行って精神鑑定を受けろ」と厳命がきて、代々木病院精神科に診察に向かうことになった。

ところが、担当医が同情的で「頭脳明晰、意識明澄」という診断書を書いてくれた。精神鑑定を受けた後、自己批判書をかかされた。兵本達吉の受けた心の傷は大きかった。後に離党し、「日本共産党には゛強制収容所″があって、

日本共産党の言うことをきかない人間を代々木病院精神科に連れて行っている」と告発側に廻ることになった。しかし、「現在に至るまで私の職場に押しかけたり、外出先まで私を追い回したりして邪魔、いやがらせをする人間がいるんです」、
「日本共産党と衝突を起こして離れた人間が反党活動をやっていないかを監視するということはやっていると思いますよ。日本共産党幹部会調査室というところでね」と告発している。


浜本達吉はこうも述べている。
概要「私を診た医師の言によると、二人以外にも強制的に精神鑑定を受けさせられた日本共産党員はいる、日本共産党の機構の上から下までどんどん送り込まれてきている、日本共産党活動の矛盾が精神科医に持ち込まれて本当に困るんだと嘆いていた。日本共産党の方針に反対する人、異論を唱える人、異分子と目された人を代々木病院の精神科へ送り込んでいる。精神科、精神病院を日本共産党員のイデオロギーをコントロールする一つの手段として、あるいは懲罰機構として利用している」。



もう一人の告発人・安東親範は次のように述べている。
「私は日本共産党をやめた時点から、日本共産党には゛強制収容所″があって、日本共産党の言うことをきかない人間を代々木病院の精神科に連れて行っている、それは共産主義に共通しているんじゃないかということを研究し、公然と主張もしています。ソ連、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、東ドイツ、アンゴラ、ユーゴスラビア、キューバ、どこの共産主義国でも精神医療が乱用されていることが学者の研究やアムネスティの発表で明らかになっていますね。中国や北朝鮮では精神病院に連れて行く前に抹殺されることが多いようですが、やはり中国の反体制の批判者が精神病院に連れて行かれるから助けてくれという手紙を出したということがアムネスティの記録に残っています。

日本共産党は選挙のポスターで「人権を守る共産党」なんて謳っていますが、『収容所列島』でソ連の強制収容所の実態を描き出し、ノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィンにどういう態度をとったか。ソルジェニーツィンの社会主義論は社会主義を歪めていると批判し、彼を弾圧したソ連共産党は内政干渉になるという理由でまったく批判していない。そういう日本共産党がどうして人権を語れるのかと思いますね」。


この「【対談】日本共産党の“収容所列島” 」に注目するのは、
兵本達吉が、「国会担当(政策秘書)として「田中金脈事件」「ロッキード事件」「ゼネコン疑惑」など日本共産党の金権腐敗事件追及委員会や法務委員会を担当」していたからである。兵本達吉の「田中金脈事件」「ロッキード事件」「ゼネコン疑惑」追求の舞台裏を知りたい。

この観点から聞くと、「書記局長や国対委員長の決裁で決まった国会の代表質問の原稿が宮本顕治の鶴の一声で正反対の内容に書き換えさせられたこともたびたびあった」証言。



●「代々木病院精神科問題」は日本共産党内反中央派叩きの為に使われているのは無論として、長い宮本顕治―不破哲三系日本共産党指導の反作用で実際に相当数の心身症患者が輩出している。


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①宮本顕治=
生年月日=1908年10月17日
出生地=山口県光市
没年月日=2007年7月18日(満98歳没)
死没地=東京都渋谷区
出身校=東京帝国大学(現・東京大学)
称号=日本共産党50年党員
日本共産党名誉役員
親族=長男・宮本太郎
配偶者=初婚・宮本百合子(1951年死別)
再婚=宮本寿恵子




②“不破哲三”はペンネームで本名は
上田建二郎(うえだ けんじろう)
生年月日=1930年1月26日(80歳)~まだ死んでない。
出生地=東京都中野区
出身校=東京大学
現職=日本共産党社会科学研究所長
称号=日本共産党名誉役員
日本共産党50年党員
親族=父=上田庄三郎
兄=上田耕一郎



③野坂参三=
生年月日=1892年3月30日
出生地=山口県萩市
没年月日=1993年11月14日(満101歳没)
出身校=慶應義塾大学
所属政党=(英国共産党→日本共産党→中国共産党→日本共産党
配偶者=妻・野坂龍



④志位和夫委員長=
生年月日=1954年7月29日(56歳)~まだ死んでない。
出身地=千葉県四街道市
出身校=東京大学工学部物理工学科
学位・資格 工学士
前職 政党職員
所属委員会 国家基本政策委員会委員
世襲 無
選出選挙区 比例南関東ブロック
当選回数 6回
所属党派 日本共産党
党役職 中央委員会幹部会委員長
会館部屋番号 衆・第1議員会館735号室






日本共産党の赤い貴族は、
日本共産党年金と言う優雅な生活が保証されているので、
しぶとく長が~く生きる。

野坂参三=101歳死亡
宮本顕治=98歳死亡
不破哲三=上田建二郎=100歳はいけると思う
志位和夫=も引退後も100歳バンザイだろう

おいしい夕張メロンとか、一切れ牛肉=10万円とか、
北朝鮮の金一族=まん丸顔の様に、栄養豊かの、
日本共産党幹部の赤い貴族生活で、
生きるて、こんなに幸せ。


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大須田勉

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